言葉の意義と詭弁を使う人の実態

社会において研究や議論での問題は、事実本意であるか、気分本意であるか、である


男尊女卑と言われる指標として、女性に男性より劣っていろ、とか、女性は可愛くあれ、というメッセージが挙げられるが、これらはまさに男尊女卑の気分に基づいて言われると、聞き手にも男尊女卑に受け取れるように男尊女卑の考え方や事実を指すという言葉の意義や用法になると言える


しかし、事実として男女の違いや人として(の見立て)という事実を根拠に語れば、どんな言葉でもそれが指すのは男女の事実のこととなるのではないか


・あの人はかわいい→私とは違う存在(事実)であることを認められる、の意、賛意
・あの人はかわいい←私の思い(気分)と違う存在は認められないで気に食わない、の意、異議


・彼女は弱い→男性の反対だ(事実)の意
・彼女は弱い←私の弱さと同じであれ、私よりも優れるという抜け駆けは許さない(気分)の意


すると、できるだけ社会で普通に認知される言葉の平均的解釈を考えて、それに悪い意味で重ならないように、誤解を生む表現は避ける必要がある


ところがある種の人達は、わざとそのような誤解を生む表現を好み、自分の真意を隠し、自分を神秘的に見せかけて、本心を伝えないことで会話におけるその場の偽りの主導権や卑劣な虚偽の優位性を作り出し、他者を欺き他者を支配しようとする


それは俗な言い方をすると、情報を独占することでその場で自分がマウントを取り、相手を見下すことが目的でいるような人間のことである


そのために、存在しないものをあるという前提で自分が相手より知っているという「情報格差」の嘘を作り出してまで、自分が相手より有利だという幻想にしがみつくのである


いわゆるハッタリや虚勢を張るということがそれである。知ったかぶりで知りもしないありもしないことをあるかのように語り自分を誇って中身もないのにドヤ顔をするということである

 

人は、概念のところで概念を語り、行動の時に行動をする、という「前後の二者」の関係に嘘偽りがない時、正しい結果を得ることができる。これを、概念のところで行動を行い、行動のところで概念を語るように後退転倒させているのが、他者を欺く人たち、すなわち観念論者である

 

つまり、口だけで大物を語り、それがその人の唯一の行動である、ということである


そういう人たちは、次のように事実に基づかないで気分に基づいて語り、確実な話を嫌って悪しとし、意味深な曖昧な何が事実なのかはっきりしない闇の語り方を好んで良しとする。そこには事実を扱い問題にする社会的で理性のある善意のある姿勢はない。彼らは、相手の誘導次第で自分がその場でイニシアチブを握れるような、自己の事実に基づかない自己イメージ、自分が何にでも化ける正体の分からない魔術的イメージが他者支配に都合が良いのでそれを纏うことを何よりも第一に好むのである

 

・遠回しな言い方をし、相手に何を指して言っているかその言葉の真意を悟らせない


・語尾を確言せずぼかして曖昧にし、議論での肯定側否定側の正反対の立場において自分がその二択のどちらの立場であるとも言わないでおき、話を進める


・相手の立場を知るために探りを入れて相手に喋るように誘導し、それを相手の話を聞いてやるというふうに偽装しつつ、相手の弱みを探る


・相手をやり込める論法の手口にメドがついたなら、まず相手に落ち度があることを指摘して責め、それの引き合いに自分は落ち度なくやっているとの事実のない誇示をする


・また、その場の議論の方向で相手がいかに低俗で自分より劣っていることしか語ってないかを事実と無関係に得意げに有言無言に吹聴しつつ相手を責め見下す


・そうやって相手を追い込む嘘の優位の仕立て上げを済ませた後、初めて自分の立場を明らかにするが、それは最も単純な世俗の意見の中の一つに過ぎない


・知者のふりをするが最も愚者の類の噂やゴシップの知見しか持たない


・最後まで実体ある現実に根ざした話がない、できない

 

・初めから現実の話をしていないで、自分は常に相手より優位なのだという虚構の幻想だけを語り、そういう主題の議論をしては、他者をそれに巻き込んで犠牲にすることをし、その幻想のために他者を「燃やして」実体もないのに自分が優位だという嘘の「煙」を立てることを目的としている

 

それは例えば、他者に根拠根拠と言いながら、その追及のポーズに根拠ある話を求められると言い訳をして逃げる、のが、彼ら観念論者である

 

彼らがいくらどの様に自分を高尚で知的に飾っていたとしても、話してみればすぐにそうでないことが分かるだけてある

 

以上は単純に、観念論の手口と本質的な実態、ということである