心で思うことの責任

先程私は、大根おろしで指を切りました

 

大根が輪切りになる刃が出ている裏側で、納豆に入れるための大根の切れ端をすっていて、手を切ってしまったのです

 

その後20分以上右の人差し指の先から血が止まりませんでした

 

大根おろしを受けるお椀の中を見ると、大半の大根の部分が輪切りになっていました

 

私の感覚では何も作業が働いてないで効果がないという実感のつもりだったので、何もできていないという観念に取りつかれて、注意が散漫になっていて事故を起こしました。

 

しかし、その上の空の中でも、あからさまに自分がやっただけのことは形に現れていて、輪切りの大根の山ができていて、私は「何もできない存在」のようにその場で扱われていても、私のしたことは他者が何と言おうと何と思っていようと、やった通りにやっただけは確実に形に実現するのだと思いました

 

ちなみに今人差し指はティッシュにくるんで中指で文字を打ってます

 

他者に、時には身内に否定されていても、あなたは存在します

 

あなたがおかしな他者の考えに巻き込まれた時、自分が傷付いてしまっても、あなたが悪いのではありません

 

あなたはむしろ自身を粗末に扱った事を、あなたと、あなたを生かして下さる力の源にお詫びしなければなりません

 

これは宗教ではなく事実の話です

我々は皆、生かされている存在です

 

その後、部屋に帰って不思議なことがありました

 

部屋の中にいるカメムシが仰向けで毛布の上に転がっていました

死体かと思うとまだ生きていました。しかし、前足の一本だけ残して他の足が皆ないのです。

 

とりあえずしばらくは何が起きたのかと、そのカメムシを見つめていました。そのままそこに放置しておくと踏んでしまうかもしれないので、よそへ場所を移すことにしました。

 

カメムシは、ほとんど自力で起き上がれないで一本の片前足だけで起き上がろうとしていました

 

このカメムシを外へ出して捨てることはできませんでした

 

ただ、先程の大根下ろしでスパッと指先が切れたという自分の観念を思い出しました

 

観念は、自分の世界に実現する

そんなことを思いました

それは他者や他の存在の上に実現するという事です

 

私の観念どおりの存在が私の目の前に表れる事になりました

いくらカメムシでもそのような姿を見るのは、私の望んでいる事ではありませんでした

 

我々は決して悪の観念をいかなる形でも想ってはならない、それは世界に現れ、その世界は他の存在と共有しているのだから、観念は他者の身の上に現れてくることになる

 

そうとしか理解できない奇怪な現象でした

 

私は私、あなたはあなた、ではない

 

そのことの深い理由を今日初めてこの出来事を通じて教えられた気がしました