菜食を馬鹿にする人たち

一般に生命として、人に似た姿を持つ生き物ほど、それを食べる事に対して抵抗や疑問を感じます。

 

そして野菜や植物は大きく人間や動物の形態と異なる事が見て取れます。それはちょうど動物に対して対極の関係にあり、そういう正反対のものは一方はもう一方に属してその下で働く、という事もまた一つの真理です。つまりは、お互いに助け合う部分があるわけです。

 

例えば昼の光が遮られた中に闇が生じるなど。その闇の中の休息ということもまた生きるには必要なことです。闇が良いのではなく、昼の光に対して休息するのに闇が良いのです。

 

そして植物を食するというのは通常その本体から落ちて離れていくものが実であったり食べる部分であったり、また葉であったりします。リンゴや人参、キャベツやほうれん草など。

 

その事に対応する部分を人間に探してみると、髪の毛や爪、皮膚の表面と言ったものがその野菜で食べる部分に当たるのでは、と思われます。

 

この事から、肉食を棄てて避け、菜食を志す人々に対して、それを揶揄するかのような表現の自由戦士という、「リアル」の社会で役に立たないばかりか迷惑や足手まといにしかなってなくてその事を真面目に受け取るでもなく逆に自分にすぐに被害が及ばないであろうと思われるネットの匿名のSNS空間で詭弁を弄して人間狩りをして憂さを晴らし、日々の自分の至らなさが招いている事態の一々の報復をする八つ当たりをする、という人たちの言説があります。

 

彼らの主張は、「植物だって生きているのになんでそれを食べるのは平気なの?」ですが、これは上に見たように、植物を対象にして真摯に向き合って検討したことのない机上の空論と詭弁に遊んでいる人たちのぐうたらな中身のない理屈です。

 

彼らは分からないでしょうから説明しますと、身である幹や茎などから離れていく部分が離れて良い時期になってからそれを採取して食べるのは、決して植物を傷つけている事にはならないと言えるのではないかという事です。

 

対象に目を向けることもなく机上論で論破した気になる愚かな人たちは、社会の足手まといなのは反省がないのならネットの世界でも同じで何も変わりません。

 

こういう人たちが幅を利かせることのできるような社会やネットの状態がなくなってくれることを一日も早く、と願うばかりです。この人たちに自分たちの詭弁の発言の釈明をさせる国家的な裁きの場が一度は必要なのではないですか?