あるものがより大きい
という事は
そのものが、他のものより、より大きい
という事です
2つの異なるものがあり、異なると言われるだけの性質をそのものが持っている事、これを絶対と言います
これに対し、その2つのものを比べた関係として、そのもののある点が他方に対してこうであると言えるという事が相対という事です
これに対して、自己の我欲のために他者の足を引っ張りたいという人は、相対だけが唯一の実体、という解釈を作り出す観念論に傾倒します
すると、彼らは、
あるものが、他方より、より大きい
という事を、
あるものに対し、他方のものがある他方のものは、その他方に対して、より小さい
という正しい考え方を歪めて
あるものに対し、別のものが、その他方のものに対して、より小さいのだ、小さいということが実在なのだ、だからあなたの言う大きいというのは間違っている、か、あるいは、それはあなたの「感想」なのだ
と言ってくることをしてきます
これはおかしい点が2点あります
それは、
絶対がないこと
相対だけがあること
のこの2つの未証明の主張です
もし、「感想」という事があるのだとしたら、それはこの2つの主張がそうなのであり、「感想」とは未証明の根拠のない虚偽の主張のことです
普通に言う感想とは虚偽の事ではないので感想は決して「感想」などではありません
ここで一つのポイントは、基であるものは一つということです
二物を比べるなら、
あるものが、他方に、より大きい
などの結果になります
つまり、以下の様な事です
A B
↓ ↓
大 → 小
A B
↓ ↓
大 ← 小
これに対して、観念論者は、
A ← B
A ← B=小「Bは、小だから、小だけがある」「Bの問題なのだから、小の他にはなにもない」
と論じます
ここでは、Aが大であり、すなわちAがBより、より大きい、という話をしているのだから、それを確認するには、
Aが、
Bと比べて、
どういうものとして関係しているか
という3つの点を調べることになります
しかし、観念論者はそれを拒否し、否定し、次のようにする事を主張すると同時に、それを結論だ、真実だ、と決定します
Aが、ではなく
Bだ、これが私の側だ、これと比べてあなたの側、
Aと比べて、
小だ、と関係している
というふうに考えてそれを主張します
こういうやり方を独断と言います
独断には根拠の証明がないので、結論は出せません
観念論者にかかると、議論は全て無に帰されて虚無に貶められ、議論も、社会の思想も秩序もみな、破壊されます
(2に続く)