愛と口だけの嘘

何かを口で言うから「愛がある様になる」のではない

 

何かの言葉を自分の中に入れて持ったから「恋人(の関係)があるようになる」のではない

 

それは、何かの言葉がなければ、愛もなければ恋人(の関係)もない、と言っているのと同じである

 

付け足したものが本体ならば、頭に被る帽子が人の本体であり、人は人の付属物や飾りという事になる

 

また、足に履く草履が人の本体であり、人は人の付属物や飾りという事になる

 

すると人の本体は上には帽子があり、下には草履があり、2つ本体がある事になる

 

その2つの本体の存在によって1つの飾りである人が共有されているのが一人の人間という事になり、矛盾である

 

これは、地球を南極という惑星と、北極という惑星との2つの星を結びつけている1つの紐が海や大地や我々の国土である、と考えているのと同じである

 

<本物のあるがままの地球>

 

北極(点、未来)

◯←国土(星、今)

南極(点、過去)

 

 

<口だけの人の考える地球>

 

北極という星(過去)

●─────◯
   ↑  ↑
  国土と 南極という星(未来)
  いう紐
  (今)   

 

 

過去にこれを言ったから「今がある様になった」
未来にこれを言ったなら「今がある様になる」だろう

 

この考えは両立しないでいつでも今は今以外のところから作られるという考えである

 

昨日あれをしていたら今(自分)は違っていたんだろう
明日あれをすれば今(自分)は違って来るんだろう、変わるんだろう

 

こう考えているのと同じである

 

それでは結局それらの事を考えている今さえ今に成立していないという事であり、始まりも終わりも嘘の説明をして今の存在を否定している空想の考えである

 

それは一人の主人(主語)が二人の召使い(述語)に仕えている様な矛盾した考えである


愛とはただ寄り添う事である
身も心もあるがままに双方から寄り添う事である

自分で飾って「あるようになる」のは嘘であり、愛の逆方向に進むのが嘘である

 

嘘をつく事は、愛のためではありえない
愛と反対の方向に行く事が嘘なのだから、愛を求め恋人を求める人は、嘘の方向に行く事がなく、嘘を愛のために必要としない

嘘が必要なものは悪であり、善ではない

 

では、人を救う嘘とは何か


それは、愛を嘘の名前で呼んだという事であり、心に思う事は本物でも、そこで言った言葉が何であるかを口で言う事には「これは(小さな)嘘だ」という嘘をついたのである

 

心に思う事だけでなく、口で言う事、行う事に本物であり嘘でない様にする事を、先人は、身口意の三密と説いている