議論ができない悲しい人

ネットのSNSの世界には、議論ができず対話というものがどういうものであるかを知らない人が過半数以上を占めていると思われるところがあります。

 

そういった人たちの特徴は、まず相手の言ったことを相手の思想でありその発表であるということを理解していないということがあると思います。

 

彼らは他者の思想すなわち考えを聞いてそれを理解する事から始めるのではなく、自分の考えに対してその相手の考えが自分と同じであるかテストをして、それによって他者を値踏みすることにしか関心がありません。

 

自分が気に食わない相手より上であるか、そうでないならいかにして蹴落とすか、の二択の思考しかないのです。

 

そのテストは、自分の信じたい「権威」に相手も自分同様かしづいて賞賛しているかを確かめるということです。

つまりは、盲従する対象の一致不一致それだけを問題にして他者の価値を決めつけているだけなのが彼らです。

 

もしそういったすがりついている権威が一致するならその相手からは反論されることがないので気分良く二人して賛美を熱く語り合い始めるだけです。

 

それはいわゆる不毛で傍から見ていてどこか受け付けられない、社会の一般水準と感覚や認知のあり方が違いすぎるオタクたちの会話のような閉鎖された社会の良識や常識に反することを肯定している世界です。

 

もしそこが不一致なら徹底的に揚げ足取りを仕掛けては嫌がらせの誹謗中傷をして相手を痛めつけてやり込めにかかり、あわよくば相手を自分の目の届く範囲から排除しようとします

 

そういった人たちは悲しいかな、他者の考えを知って自分にそれを照らし合わせて自分を見つめ直し自分を豊かにしていくということができません。

 

彼らにはあらかじめ、あらゆる議論や対話の前からすでに自分がこれから先いかなる時でも何を信じ何を否定するかの問答の回答の一式がすでに用意されて決定してあり、その決定だけは決して変更しないと固く誓って心に決めているのです。

 

それは言葉を変えて言えば、自分が問題指摘を受けざるを得ないその幼稚な思考を、ありとあらゆる社会の観察から完全に正当化する論法を寄せ集めて装備している、といういわゆる古今東西の詭弁者を手本にした論理武装のことです。

 

ですから、その自己正当化マニュアルである自分の決定と異なる意見が社会になされれば、彼らはスイッチの入った録音機械のように反応し誹謗中傷を仕掛け始めます。

 

それは一種の連鎖反応であり、一般人の仮面の下に隠していた共通の因子が次々に作動してくるような、悪しき心の連鎖反応です。

 

それが始まると、他者の意見は誰のものであろうとおかまいなしに、その場に集まってきた彼らによって集団的にその場から一切排除されることになります。

 

彼らの思考は、自分と違う考えはあってはならない認めてはならない、という思考です。

 

それは自分が周囲と同化していないで他と区別されることは自分の中身や実力が問われ始めることの出発点となるので、そういう地点にだけは決して立とうとはしないという動機に基づいています。

 

その考えの本質は、社会の活動の入口に対し背を向けて、正当な方法以外の手段で社会の中にある価値や立場に自分が立っているという空想を満足させたいという考えであるということに他ならないでしょう。

 

そういう子供じみた夢を守るために、現実の社会に立って切磋琢磨し他者と向き合い意見交流している人を邪魔に思い、痛めつけることで非現実の決して現実に結びつくことのない夢を守ることになると甘えたことを思っているのです。

 

そういう人たちと話をしても何の知的交流も起こりません。彼らは他者に対して向き合ってもおらず心も開いていません。

 

例えば、赤ちゃんの周りには天使がいてその赤ちゃんと対話しているという想像のイメージがあります。

彼らの周りには一体の天使も妖精の類も存在せず、祝福された存在の一切に遠ざかられて避けられているという想像のイメージが湧いてきます。

 

彼らの揚げ足取りは相手の考えを認めないので、相手の考えがあることを前提にした話ができません。

それで相手か何を言ってきても、直前のこちらの話と混み合っておらず話の論理が飛躍していてつながりがまるでないのです。

 

嘆かわしいことです。

 

彼らのマイルールが通用する世界は、秩序を守ることを放棄した杜撰な管理体制のSNSにしか残されていないと言えるでしょう。

 

そのSNSは間もなく法改正により、そういった誹謗中傷を放置できない対処義務が与えられることになります。

彼らはその時、沈みゆく無法地帯のツイッター大陸とともに沈んで淘汰される運命にあるのです。代わりに浮上してくるのが次の時代の舞台となる新しいSNSの大陸でしょう。